Sizing and Ground 下地 

前膠 Sizing

下地づくり

  地塗り塗料を塗布する前に行われるのが前膠(Sizing)です。膨潤の時間が長く最も水の影響を受けにくいことから兎の皮から作られる膠が主に使われてきました。支持体と絵具層の絶縁をすることにより、メディウムの酸化が与える支持体へのダメージを回避すると同時に、板からの木材のアクが描画層に染み出してくるのを防ぎ、また、支持体と地塗り層との固着を強める働きも大事な役割です。キャンバスに塗布する場合、布の織り目の間を埋める目止め剤としての働きとともに、その接着力によって布の織り目を固定し、支持体としての「硬さ」を与えることも重要な点です。

地塗り層  (Ground)

地塗りには二つの機能があり、ひとつは表面の平滑かつ均質化、もうひとつは表面の吸収力の調整です。  絵具層の発色自体が地塗り塗料によって左右されるため、地塗り塗料は明るくします。特に油絵の場合は、暗い地塗りは地塗り色がやがて浮き出してくると言われています。 絵具を受ける地に要求されることは、それ自体が柔軟で丈夫で耐久性があるということではなくて、地を覆う最終的な絵具層に結びつけるのに受けてとなるための望ましい特性が必要です。
左がアクリルジェッソと右が石膏液その違い
膠により充填した地塗り層は、糖衣やフルーツの上にかける透明ゼリーのようなnappage(ナパージュ)のように支持体を包み、その支持体自体の形態を柔らかく包み込む効果を生み出します。これは合成樹脂による地塗りでは決して表せない効果です。

地塗りの変遷 =カルシウム化合物

カルシウム化合物は太古の海に生息したプランクトンなどの死骸が層をなして堆積したものです。火山活動が少ないアルプス以北では白亜(炭酸カルシウム)層ができ、イタリア半島周辺では火山活動で出来た二酸化硫黄(亜硫酸ガス)と反応して出来たものが石膏(硫酸カルシウム)層です。下地づくりのそれぞれの材料は、その地域の地質に由来します。
白亜
ボローニャ石膏
15世紀イタリア絵画の技法について記したチェンニーノ・チェンニーニは石膏を使った当時の処方について詳しく書いています。充分に乾燥させた良質のポプラの板の上には古い麻が貼られ、その上にヘラや豚毛の筆で石膏による幾層にも及ぶ地塗りが重ねられました。そしてまだ表面が粗い石膏地は乾いた後に金属板で削り取るように研磨されたのです。磨かれた石膏地に反射する光の明るさはテンペラ絵具の鮮やかな発色を下支えし、またその加工性の良さは、盛り上げ、刻印などの様々な技術を用いた金箔による優れた装飾表現を生み出したのです。 一方、15世紀北方フランドルの画家たちは、主に硬い樫材を用い、膠で絶縁層を作った上に直に白亜地を施しました。それらは硬質なので、比較的薄い層で刷毛塗りされています。膠の縮みにより板の反りを防ぐために、前膠は板の裏面にも施され、時には地塗りも施されました。その目的は画面に白さを与え、また適度な吸収性によって絵具層の固着をよくするために用いられたのでした。北方の画家たちは、彼らによって確立した油彩技法に、この白亜による輝く白さを最大限に利用したのです。光をもっともよく反射する下地の白は反射板として機能し、数層にわたって重ねた透明な油絵具層の下で絵具に輝きを与えました。
15世紀イタリア。ヴェネツィアで本格的な麻布の使用が始まると、画家たちはそれまで板地に使っていた水性石膏地をそのままキャンバスに使用しました。本来は硬く割れやすい水性地下地から、やがて試行錯誤を繰り返し、板に比べて伸縮の大きいキャンバス地の経年の動きにも対応できる、より柔軟な油性地が使われるようになったのでした。

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LAPIS lazuli

 

かつてラピスラズリは「天空を象徴する聖なる石」として神聖視されてきました。古くは新石器時代の紀元前7千年期のインダス文明とアフガニスタン間の重要な交易路の遺跡メヘルガルや紀元前4千年紀のメソポタミア文明北部の入植地などでもからもラピスラズリのビーズは発見されています。
その深い青色から藍色が美しく、しばしば黄鉄鉱の粒を含んで夜空の様な輝きを持つことから、古代ローマの博物学者プリニウス(Gaius Plinius Secundus)はラピスラズリを「星のきらめく天空の破片」と表現しました。
古代社会でも特に高く評価したのはエジプトで、ファラオ、王族、神官などの祭司階級しかこの石をつけられない時代もあり、黄金を凌ぐほどの価値をも与えられていました。

 

新石器時代からアフガニスタンで採掘され、地中海世界と南アジアに輸出されて、装飾品や、やがて絵具として使われるようになりました。
 ヨーロッパにおいては、絵具の原石がアフガニスタンから海路でイタリア・ヴェネツィアに運ばれて来る事からウルトラマリン(Azurrum Ultramarinum [海を越えてもたらされた青])と呼ばれるようになります。
ウルトラマリンは、ただ単にラピスラズリを粉末化しただけでは作る事の出来ない顔料です。例え含有量の多い最高級クラスの原石を用いても、やや灰色を帯び、その青の濃さには限界が生じてしまいます。
ラピスラズリをウルトラマリンの顔料にするための抽出方法について、15世紀の芸術家であるチェンニーノ・チェンニーニ(Cennino Cennini) は、その著書『芸術の書』(IL LIBRO DI ARTE)において次のように記述しています。
「粉砕した原料を溶かした蝋、樹脂、油と混ぜ合わせ、できた塊を布に包み、うすい灰汁の中でこねる。青色の粒子が容器の底に沈み、不純物や無色の結晶は塊の中に残る。この工程を3回以上繰り返す。あとから滲出してくるものほど等級は劣る。」
つまり、石を細かい砂状に砕き、解かしたワックス・油・松ヤニなどと混ぜます。できた塊をうすい灰汁の中でこねると粒子が容器の底に沈んでいき、最終的には青い粒子を含んだ透明な抽出物でようやく完成するわけです。
貴重なラピスラズリから更に純粋な天然ウルトラマリンを作り出すためには如何に多大な労力を払って捻出していたかが伝わってきます。

煌々とした青色を放つ最良の天然ウルトラマリンの抽出量は、ラピスラズリ粉末のわずか2~3%にすぎません。非常に高価な顔料であるため、芸術家たちはキリストのローブやマリアのマントなど、ごく限られた部分を彩るためのみに用いました。さらに使用量を節約する為、下塗りにアズライト(天然群青MountainsBlue)を使うなどの工夫の跡も数多く残っています。

ある色彩鑑定家は「青が深くなると人は『無限』の感覚が呼び起こされ、純粋で超自然的なものへの欲求に気づきます」と語りますが、現代になっても空の青を瓶に詰め込むことができず、炎の青にも触れることもできない人間にとって、青は神聖な色として存在し続けるのです。

滅多にお目にかかることはありませんが、どれが本物のウルトラマリンの顔料だか分かりますか?
答えは一番左が天然ウルトラマリンの最高級品、その右が次の天然グレード、その右はニュートンの人工ウルトラマリンライトです。一番右はブライス社のコバルトブルーでした。
クサカベの人工ウルトラマリンの油絵具です。

1828年、テュービンゲン大学のクリスティアン・グメリン(Christian Gmelin)によって現在の合成(人工)ウルトラマリンの製法が発表さます。顔料として高品質であり、且つ安価に生産可能な合成品の登場により、ラピスラズリから抽出する天然ウルトラマリンは、残念ながらやがて姿を消してゆくのです。

Atelier LAPISは「叡智の石」とも呼ばれているラピスラズリから、今現在の価値観を再び見直し、様々な試練や苦難を乗り越えることで、自らを成長させてゆけるようにという願いを込めて名付けています。

参考資料
Gigazine
Wikipedia
絵具屋 三吉

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